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- Date: Thu 06 06, 2013
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Smells Like Shibuyane Spirit
このあいだの記事でここでのブログは最後にしようと思ってたんだけど、まだここしか書くところがないので、最後に少し
今月、六月一日の営業を以て、渋谷屋根裏が閉店した
このことに関して、悲しいだの寂しいだの言うつもりはないし、結局言えた口がないのだが、俺等界隈の音楽輩にとって、俺にとって、少なからず、 コト だった
今の場所に移ってから15年
勿論その全てを知っているわけではないけど、俺が初めて門を叩いたのは、19の時
昼間のオーディションライブだった
オーディションは決まって土日の真っ昼間に行われた
その日の夜公演の人たちが悠然とういーすかなんか言いながら入ってくる午後三時の頃合いに、こちとら既にライブを済ませ怖そうな店員のひとに何かしらの評価を一様に受け一喜一憂の中ありがとうございましたかなんか言いながらとっととハケルという具合
頼みの綱の友達も大概まだ寝てるし、まず入りが朝だし果たして俺は起きれるのかだし、ノルマ全然だからちょっとATMいってくるわ、まあそんな世界
当時、大学の先輩バンドが幾度となく跳ね返されただとか、あのバンドもこのバンドも名のあるバンド連中が幾つも出ている…だとか、なにやらスペイン坂という坂を上ったところにあるらしい…とか、名前の割には地下にあるらしい…だとか数多の噂聞くにつけ、横浜を拠点にしていた我がバンド内では、どんどん敷居が高まり、「なんとしてでも都内の渋谷の屋根裏の夜にでるぞ!」とスローガン掲げ、およそ半年の修行期間を設け、鼻息荒く挑んだのを覚えている
憧れの渋谷屋根裏
幸いにも一発合格し、喜んだ我々一同、気持ち大きくなり、高嶺の花であるスペイン坂右手のパスタ屋にて、味の割に高値のスパゲティを箸で食べたっけな
それから11年間、
最初は客もまばらな平日ブッキング、そのうち上等な週末の企画、イベント、アニバーサリーや、年末企画、少しご無沙汰してる間にいつのまにか弟が働いていて、いつからか大晦日は必ずここで演奏し、皆で明けましておめでとうと言い合うのが常になった
酒樽を持ち込んで自主企画も打った
数々の音楽家と凌ぎを削り、奇しくも、時近くして、俺たちの死場所にまでさせてもらった
UNDER THE COUNTERが、唯一、結成から最後までステージに上がらせてもらった、ホーム中のホーム
他のどんな小屋より、ここで一番うたをうたい、ここで一番ライブをみて、ここで一番酒を飲み、ここで一番たくさんの人に出会い、話をした
それが渋谷屋根裏と俺とのすべてだ
ライブ後はいつも、ときに有意義に、大体無為に、朝までフロアで仲間と酒を飲み散らかし、そろそろ帰るかと、あの湿気のある地下から命からがらギターケース背負って這い出た時の、あのくらくらするようなお天道様と、全身にこびりついた、あの独特な「シブヤネ臭」を、俺は、忘れることはないと思う
渋谷屋根裏
本当にご苦労様でした、たくさんもらいました
どうもありがとうございました
場所はなくなってしまったが、
あのいまいましい「シブヤネ臭」が俺にも染み付いているのと同じように、
今日もどこかで
渋谷屋根裏の血は、脈々と、
流れているはずだ
だからまた会える
渋谷屋根裏育ち
関谷謙太郎
今月、六月一日の営業を以て、渋谷屋根裏が閉店した
このことに関して、悲しいだの寂しいだの言うつもりはないし、結局言えた口がないのだが、俺等界隈の音楽輩にとって、俺にとって、少なからず、 コト だった
今の場所に移ってから15年
勿論その全てを知っているわけではないけど、俺が初めて門を叩いたのは、19の時
昼間のオーディションライブだった
オーディションは決まって土日の真っ昼間に行われた
その日の夜公演の人たちが悠然とういーすかなんか言いながら入ってくる午後三時の頃合いに、こちとら既にライブを済ませ怖そうな店員のひとに何かしらの評価を一様に受け一喜一憂の中ありがとうございましたかなんか言いながらとっととハケルという具合
頼みの綱の友達も大概まだ寝てるし、まず入りが朝だし果たして俺は起きれるのかだし、ノルマ全然だからちょっとATMいってくるわ、まあそんな世界
当時、大学の先輩バンドが幾度となく跳ね返されただとか、あのバンドもこのバンドも名のあるバンド連中が幾つも出ている…だとか、なにやらスペイン坂という坂を上ったところにあるらしい…とか、名前の割には地下にあるらしい…だとか数多の噂聞くにつけ、横浜を拠点にしていた我がバンド内では、どんどん敷居が高まり、「なんとしてでも都内の渋谷の屋根裏の夜にでるぞ!」とスローガン掲げ、およそ半年の修行期間を設け、鼻息荒く挑んだのを覚えている
憧れの渋谷屋根裏
幸いにも一発合格し、喜んだ我々一同、気持ち大きくなり、高嶺の花であるスペイン坂右手のパスタ屋にて、味の割に高値のスパゲティを箸で食べたっけな
それから11年間、
最初は客もまばらな平日ブッキング、そのうち上等な週末の企画、イベント、アニバーサリーや、年末企画、少しご無沙汰してる間にいつのまにか弟が働いていて、いつからか大晦日は必ずここで演奏し、皆で明けましておめでとうと言い合うのが常になった
酒樽を持ち込んで自主企画も打った
数々の音楽家と凌ぎを削り、奇しくも、時近くして、俺たちの死場所にまでさせてもらった
UNDER THE COUNTERが、唯一、結成から最後までステージに上がらせてもらった、ホーム中のホーム
他のどんな小屋より、ここで一番うたをうたい、ここで一番ライブをみて、ここで一番酒を飲み、ここで一番たくさんの人に出会い、話をした
それが渋谷屋根裏と俺とのすべてだ
ライブ後はいつも、ときに有意義に、大体無為に、朝までフロアで仲間と酒を飲み散らかし、そろそろ帰るかと、あの湿気のある地下から命からがらギターケース背負って這い出た時の、あのくらくらするようなお天道様と、全身にこびりついた、あの独特な「シブヤネ臭」を、俺は、忘れることはないと思う
渋谷屋根裏
本当にご苦労様でした、たくさんもらいました
どうもありがとうございました
場所はなくなってしまったが、
あのいまいましい「シブヤネ臭」が俺にも染み付いているのと同じように、
今日もどこかで
渋谷屋根裏の血は、脈々と、
流れているはずだ
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